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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-05-06

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ぼくの尊敬する先輩たちは、だいたい年をとってくると、
 そのことについての文章を書くようになる。
 「そのおかげで家がたった」と冗談さえ言われたのは
 赤瀬川原平さん『老人力』である。
 この「老人力」という逆説的なコンセプトに
 赤瀬川さんが気づいて文章にしたのは、
 ご本人が60歳になりかけたころだった。
 いまのぼくから思えば、ぜんぜん「老人」じゃなかった。

 横尾忠則さんも、ずっと「老い」「老人」を語っている。
 休みなく日記を付け続けてきている方だから、
 たどってみたらわかるだろうが、おそらく、
 「老い」よりもずっと前から「死」のことを言っている。
 合間合間に「病」も語っているから、筋金入りだ。
 ご近所にじぶんより年上のなんとかさんが住んでいて、
 たまに話すことがあったらしいのだが
 「ぼくは、もっと老人のこととか話したいのに、
 そういう話をぜんぜんしないんだよね」と残念がっていた。

 吉本隆明さんは、海の事故からあと、持病もあって、
 ある時期からはじぶんの「老い」を、
 もっとも近くにある自然として観察しはじめた。
 感じて、思って、考えて、変化して、感じてを…繰り返す。
 「老い」ということばのある本を何冊も出している。
 出版社のほうから、その「老い」についての思考を
 聞きに来るということもあったのだろうが、
 「老い」は吉本さん自身にとっても
 興味深い研究テーマだったようにも思えた。

 今年の6月で「ほぼ日」の創刊27周年ということになる。
 つまり、その年に生まれた赤ちゃんが27歳ということだ。
 20歳だった人は47になるし、30歳の人は57歳になる。
 ぼく自身が次の冬がきたら77歳である。
 赤瀬川さんが「老人力」を意識した年齢から、
 さらに17年も経っているが、たしかに個人として
 「老いている」ことと「生まれている」ことがある。
 どちらも合わせて「変化している」ということだろう。
 その変化を「観察したり、考えたりしたり」しながら、
 「うまくやれることを、やっていく」と思います。
 チーム全体は若くなっているのが、おもしろいところです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
老人になると、粘着テープが張り付くと指の皮膚が痛いです。


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