「かっこいい」の勃興と衰退。
糸井重里
・ふだん、あんまり使う機会は減ったけれど、
ぼくは「かっこいい」というほめことばを使っている。
語源としては「格好良い」なのだろうが、
それとはちょっとちがう感覚である。
「かっこいい」がいつごろから世の中に出てきたのか、
それについては歴史の証言者風に語りたいところである。
まず、ぼくが18歳になるくらいまで、
じぶんの周辺に、このことばはなかった。
少なくともぼくは言ったことがなかったし、友人たちも、
「かっこいい」ということばのない生活をしていた。
はじめて聞いたのは、高校の同級生Kくんの甥である
小学生男子が、Kくんがなにかをしたときに、すかさず
「くーちゃん、かっこいいーっ!」と叫んだときだった。
ぼくは、その場にいたのである。
その「くーちゃん、かっこいいーっ!」が、
ぼくにはものすごい「絶賛」のことばに聞こえた。
「かっこいい」ということばが、かっこよかったのだ。
ぼくの生活のなかに、それを取り入れるようになったのは、
それから徐々にだったけれど、いつのまにか、
「かっこいい」抜きで生きていくことができなくなった。
いまでも、ぼくの価値観のかなり大きな部分を
「かっこいい」という感じ方が占めていると思う。
ぼくらよりも、もっと年上のお兄さんたちは、
石原裕次郎を象徴とする「イカす」という表現を
多用していたけれど、ぼくらの世代からは
「かっこいい」がどんどん勢力を増していった。
しかし、いま思うのは「かっこいい」という価値観は、
少しずつ衰えてきているんだろうなということだ。
「イケてる」とか「エモい」とかが新興勢力なのかな。
女性は「かわいい」とか「おしゃれ」とか、かなぁ。
「かっこいい」の使用頻度は減っても、
おそらく、ぼくは「かっこいい」と言い続けそうです。
それはそうと、このごろの「めっちゃ」の濫用は、
めっちゃ目に余るのではないだろうか…?
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほめ表現の歴史」ってのも卒論のテーマになりそうだね。
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