お気に入り記事の保存はアプリが便利!

ほぼ日刊イトイ新聞

2025-05-03

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・なんのとりえもない中学生のころ、
 「将来、大人になったら働くことになる」ということが、
 恐ろしいことのように思えて、大人になりたくなかった。
 きっと学校よりもっと厳しいのが社会だと思っていました。
 そこでは、じぶんは無理なんじゃないかとも想像しててね。
 苦肉の策として考えたのが「マンガ家」になることでした。
 ぼくはこんなにマンガが好きなのだから、
 「マンガ家」になれば、いやじゃない生き方ができる。

 その準備をしようと考えて、入門書を買いました。
 それが『まんが入門』という本で、
 作者はやなせたかしという人でした。
 それなりにちゃんと読んだのですが、どこか、
 ぼくが求めている「マンガ」というものと、
 この本で語られている「マンガ」とが
 ちがっているような気がして、少しあてが外れました。
 いま、その本について検索したら、
 発行は1965年、副題が付いていて
 「あなたのためのユーモア製造法」と。
 そういえば、そういうふうな内容だった気がします。

 中略、ぼくは「マンガ家」にならなかったし、
 とてもとてもなれなかったのです。
 いまなら、その理由はよくわかります。
 どう考えても、じぶんが好きで読んでいるような
 おもしろい「マンガ」をじぶんが描き続けられるとは、
 カケラほども思えなかったのです。
 自信があるとかないとかじゃなく、
 「なろう」として「なれる」ものじゃなかった。
 じぶんで、それに気づいてしまったのです。
 「なろう」とすることをやめないで「なった」人も、
 「なった」けれどやめてしまった人もいるでしょう。
 でも、ぼくは「なろう」とすることができなかったのです。
 いや、悔やんでいるのではないです。
 実際には大人になって仕事することは、
 想像していたよりずっとおもしろいことでしたから。
 「マンガ家」にもなれなかったけど、
 考えてみると、ぼくは、なににも
 「なろう」としたことがないかもしれません。
 「なろう」がなくても、一所懸命にはなれるのかもね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
すみません、じぶんでもよくわかってないことを書いてて。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る
ほぼ日の學校
吉本隆明の183講演
ドコノコ
ほぼ日アプリ
生活のたのしみ展
TOBICHI東京
TOBICHI京都